ING Japanese Version 夜が グラスの底へ沈む 氷がひとつ 小さく鳴った 「元気だった?」 そう聞かれて 「まあね」 それだけで 夜は静かだった 窓に映る 横顔は半分 残りの半分は 暗がりへ 昔の服が まだ奥にある もう似合わないのに 捨てられない理由も もう忘れた 古い切符には 行き先さえ 残っていない あの日 私はそこにいたのだろうか たぶん いた —— 呼ばなくなった 名前がある 忘れたわけじゃない 波の引いたあと 砂に残る 海の匂いのように 鏡は 何も言わない 笑った夜も 黙っていた年月も 同じ顔に 残してゆく 口紅を引いて 朝の靴を履く 扉が開けば 今日も いつもの私になる —— ときどき 昔の私と すれ違う 声はかけない 振り返りもしない ただ 風の向きが変わると 懐かしい香りが 一瞬だけ戻ってくる その夜だけ ジャズが 半拍遅れる 氷が また 小さく鳴る —— もし 私を見かけても すぐに 私だと思わないで 水に映る月は 月のすべてではない 誰かが通れば 揺れて 誰もいなくなれば また 月になる —— 午前二時 向かいの灯りが ひとつ またひとつ 消えてゆく 最後に残った 私の窓 消さなかった 誰かを 待っているわけでもない こんな夜に 灯りがひとつあるのも 悪くない —— 夜がほどける頃 鏡の中に 知らない私がいた 名前は 聞かなかった 向こうも 何も言わなかった 始発が 遠くを過ぎてゆく テーブルの氷は いつの間にか 音をなくしていた グラスの中には まだ 名前のない色が 揺れている ING